イベントレポート

ブラタケシタ第2弾を開催

~高千穂の棚田はナゼ美しい!?~

 非常に好評だったブラタケシタに続き、ブラタケシタ第2弾!を平成30年3月21日(水)に開催しました。

 はじめに、2015年に高千穂郷・椎葉山地域の世界農業遺産が認定され、この地域で築かれたあたりまえの生活スタイル(山間地農林業複合システム)は、いつしか世界的に貴重なものとなっており、他の地域では珍しいが、高千穂ではあたりまえのものがたくさんある中の一つが美しい棚田の風景です。高千穂を訪れた多くの人々が、棚田の美しさに足を止め写真を撮って行きます。人々はナゼ高千穂の棚田は美しいと感じるのかということで、今回その謎を宮崎大学農学部准教授の竹下先生よりブラタケシタの講師として高千穂町の「山腹用水路」と「棚田」の不思議を解き明かして頂きました。

 参加者は、熊本県や宮崎市、町内からもたくさん参加して頂きました。今回の主旨を説明後「高千穂の棚田はナゼ美しい⁉」の題名で竹下先生より講義を行っていただきました。講義内容は、1.高千穂の風景の輪郭、2.自然と人の調和、3.高千穂の美しさを支えるものについて学びました。

1.風景の輪郭
 風景の感じ方は人によって様々であるが、同時に大半の人に同じように心地よさ、美しさを感じさせる風景があるのもまた真実であり、そこには多くの人に共通する美しさの基準が見え隠れする。風景の輪郭を作っているのは地形である。とくに高千穂では山、川、そして人々の生活の場である台地のダイナミックな変化が、人々に美的満足感を与えるものである。
 大崩山を形作った1400万年前のフィリピン海プレートの衝突によって誕生した高い山と深い渓谷、そして12万年前と9万年前の阿蘇の噴火がもたらした火砕流台地。この台地の上に立っていることが、高い山並みに圧迫感を覚えることなく、開放的な気持ちをもたらしており、独特の地形のダイナミズムが高千穂の風景の輪郭となっていた。

2.自然と人の調和
 そもそも高千穂の棚田は、いつ生まれたのか。
 江戸時代前期まではほとんど水田はなく、いまとは違った風景が広がっていた。今のような棚田が広がる風景の原型は、1615年の岩戸村の中の園に生まれた。飲料水を確保するために水路を引いたのだが、思いのほか水量が豊富だったためこれを利用して稲作を始めたところ美味しい米が獲れた。それを見た近隣の村々も水路を開削し、開田され江戸中期から徐々に各地に棚田が誕生したが、この地域の開削は簡単ではなかった。なぜならば、水源が近くになかった。それでも米を作りたいと願った先祖達は、長い山腹用水路を開削した。この山腹用水路があるおかげで、日光が降り注ぐ台地の上に稲穂が揺れる、美しい高千穂の風景がいまここにある。風景はいつの間にかそこにあるのではなく、生活の記録そのものなのでした。

3.高千穂の美しさを支えるもの
 中の園にあった水路は、いまも岩戸用水として存在し水を流し続けており、高千穂には至る所に棚田がある。その棚田のすべてに、遠くの水源から水を届ける山腹用水路がある。そして、そのすべての山腹用水路に、それを守り続ける人々の姿がありました。

 講義終了後、直接現地に行ってフィールドワークを行いました。小雨が降っていたのでコースが一部変更となりました。
 フィールドワークでは、竹下先生が用水路一つ一つのポイントごとに立ち止まり、その場所の説明をしながら進んでいきました。途中、用水路が山奥の方からきているところと今まで歩いてきた道との合流点になっている場所がありました。その合流点の先にはまだ長い用水路が山の中へと続いていました。ここより少し歩いたところには八大龍王水神が祀られている神社がありました。
 最後に鶴門の方に移動をしました。先生の話が終わった後、幅が狭く橋みたいになっているところを渡りました。竹が生い茂る中、歩いた先は行き止まり。しかしそこには、先生の身長よりも高いところから水が滝のように流れてくる用水路が造られていました。先人が大変な筆舌に尽くしがたい苦労をして作り上げ、ここが代々管理され今もこの地域の暮らしを支えているのだと思いました。

 今回のブラタケシタ第2弾も大好評となりました。高千穂の風景があるのもこの山腹用水路があるからであり、私たちが今後守っていかなければならない遺産であると再確認させられました。

 また次回のブラタケシタ第3弾!乞うご期待ください。