ストーリー

日之影町 獣害対策を昇華させた新たな挑戦「ジビエ」

大人ジビエ振興協議会 田中弘道さん

日之影町 大人(おおひと)地区。
「農村歌舞伎」や「夜神楽」などの文化を、数百年の時をまたいで今もなお継承しているという、全国的にも稀有な集落だ。

イノシシやシカの狩猟も、かねてから大人地区に暮らす人々の間で盛んに行われており、田中弘道さんもその一人。その面積の約91%を森林が占める同町では、民家の庭にイノシシの足跡が残るほどに、獣たちの住みかが身近にあるためだ。

弘道さんがこの道に入ったのは、日之影町役場に勤めていた40代の頃。
当時、捕獲しても適切に解体・処理が行える者が少なく、その多くは廃棄せざるを得ない状況だった。
田中さんも例外ではなかったが、「せっかくの命、なんとか食用として役立てたい」と積極的に解体を学び、いつしか我流を交えて誰よりも手際よく捌けるようになった。
以来30余年、ジビエをおいしく食することにこだわり続け、技を磨き、鮮度を保ったまま加工するノウハウを身に付けた。
そして2019年の春、満を持して、瞬間冷凍機などを備えた加工場を自宅横に造ったのだ。
今では、日之影町で捕獲されたシカやイノシシのほとんどがここに運び込まれ、田中さんの手によって食用として加工されている。

取材中にかかってきた一本の電話

取材スタッフがインタビューを行なっている最中、田中さんの元に一本の電話が。
田中さんが罠を仕掛けた場所のすぐ目の前の林道を通りがかった知り合いが、若いイノシシがかかっているのを発見し、連絡をくれたのだった。

田中さんはすぐさま現場に直行、我々も同行させてもらうことに。

自宅から車で数分、林道から見上げた斜面に、罠に足をとられたイノシシが。
「無理して見ていなくてもいいですよ」。
そう我々を気遣った後、するすると斜面を登っていく田中さん。
はじめて目の当たりにする命のやりとりに、取材スタッフが固唾を飲んで見守る中、無駄のない動きで“止め刺し”を行う。
にこやかに取材に応じてくれていた田中さんも、この時ばかりは猟師として、真剣な表情を崩さなかった。

捕獲から解体終了まで1時間強
巧みな手さばきで美しく、新鮮なまま捌く

加工場に持ち帰り、捕獲者名や捕獲日、性別などを記録した後、田中さんは早速解体作業に移る。仕留めてからなるべく迅速に解体作業に移ることも、臭みや雑味を残さない加工の大事なポイントなのだ。
入念に毛を落として洗浄、筋をくまなく切って完璧な血抜きを施し、見事な手さばきでみるみるうちに捌いてゆく田中さん。
その眼差しは真剣そのもの。

イノシシを捕獲してから、わずか1時間強。
田中さんは庭で木炭に火をおこし、解体を終えたばかりの猪肉を我々にごちそうしてくれた。

肉汁をたっぷりたたえた弾力ある肉質
脂はすっきりとさわやか

捕獲したばかりの猪肉をいただくのは、取材スタッフにとって初めての経験。
肉汁に満ちた弾力のある猪肉は、歯を入れると柔らかくほどけ、脂はコクがあるのにくどくなく、すっきりとした味わい。
「こんなにおいしいジビエははじめてです」。
口にした感動をそう率直に伝えると、田中さんは「タダのものは何よりうまいんですよ」と冗談めかして笑った後、こう続けた。

「ジビエの味を決めるのは、動物たちが何を食べて育ってきたか。
イノシシは雑食で何でも食べるけれど、木の実を食べて育つと、真っ白で臭みのない脂がのってくる。日之影の澄んだ水も、一役買っているでしょうね。

“止め刺し”を行なったらなるべく早く解体作業を終えることも、おいしさを保つ上で重要です」。
そう語る田中さんの表情には、長年の経験に裏打ちされた確固たる自信が覗く。

日之影町観光協会は、田中さんが加工したジビエを使った燻製肉を、加工場のある「大人地区」にちなんで「おおひとジビエ」と銘打ち、販売している。
「日之影町のジビエのおいしさを、町外の人にもぜひ味わってほしい」。
その一心で技を磨き、73歳となった今でも、まだまだこれからとばかりに果敢に挑戦を続ける田中さん。
その想いが日本中の人に届くことを願うばかりだ。

宮崎県 日之影町 おおひとジビエ