ストーリー

五ヶ瀬町 このまちのお茶に惚れ込んで「有機茶」

哲茶堂 干川哲郎さん

日本各地、時には海を越えて。およそ10年に渡り、シーズンワーカーとして旅をしてきた干川さん。
宮崎県・五ヶ瀬町に腰を落ち着けたのは、2016年のこと。
30歳を節目に「そろそろどこかに根を下ろそうか」と考えていた矢先、五ヶ瀬町の有機茶に出会った。

歴史ある御茶所・京都の生産者のもとで働いた経験もあり、高級茶は幾度となく口にしてきたが、それらとは一線を画す初めての味わいに驚いたと言う。
中でも釜炒り茶は、九州地方のごく一部の山間部でしか製造されていない希少な緑茶。
日本で最も一般的な蒸し茶とは違い、釜で茶葉を「炒る」ことで発酵を止める、中国から伝来した本来の製法ともいわれている。
何杯飲んでも飲み疲れることのない、すっと体に馴染む味と飲み心地。日々の食事ともちょうどよく馴染む香ばしいかおり。
そんなほかにはない魅力に惹かれた。

水も空気も綺麗な、自然の美しいところで生活をしたい。農業で生計をたてて、しかもやるなら絶対に有機栽培がいい。
かねがね思い描いていたこれらの条件を満たす環境と出会ったことでおのずと意志が固まり、この地で有機茶農家になるための経験を積むべく『宮﨑茶房(五ヶ瀬町)』の門を叩いた。

オーガニック茶 先駆のまちでの挑戦

それから4年後の2020年春に独立を果たし、自身の茶園『哲茶堂』を開いた干川さん。
工場には、既にかなり使い込まれているであろう、年季の入った製茶機械が並ぶ。

これらはすべて『宮﨑茶房』から借り受けており、そもそもは昭和45年、工場のある中山集落の住民が出し合った資金と町から受けた補助で設けた製茶工場だった。担い手不足と高齢化を理由に売りに出されていたところを、同社が買い取った形となる。

以前機械を利用していた住民が残したメモが、機械のいたる所に見られる。

余談になるが、五ヶ瀬町の製茶文化を牽引する『宮﨑茶房』や『五ヶ瀬緑製茶』は、こうして誰の手も入らなくなった工場や茶畑を購入し、維持・管理に貢献しているのだとか。

五ヶ瀬町は、農薬や化学肥料を使わずに栽培する有機茶農家が多く、近年広がりつつある有機栽培推進におけるいわばパイオニア的な存在だともいわれる。
かつては不可能だと笑われた茶葉の有機栽培が、『宮﨑茶房(旧:宮﨑製茶)』をはじめとするお茶農家の数十年にわたる努力により天皇杯を授与されるまでに認められたことが、この土地のスタンダードを塗り替えた大きな理由ではないかと干川さんは言う。

少量・小規模で、質を追い求める

これまでの軌跡を見てもわかる通り、有機茶づくりの道は簡単ではない。
独立2年目にして、干川さん自身もその厳しさを身にしみて実感しているそうだ。

哲茶堂では釜炒り茶のほかにも、発酵を止めずに茶葉を生かしたまま封入する「生紅茶」や、烏龍茶の製造も行っている。時には工場脇の事務所に寝泊まりし、夜通し作業することもあるそうだ。

「今やっていることは、有機茶の味わいやお茶づくりの面白さに惚れ込んで始めた“趣味の延長”のようなもの。たくさん出荷してたくさん儲けを得るより、一人で管理できるだけの規模で、クオリティに十分こだわりながら、少しずつ歩を進めていけたらと考えています。
それに、移住者である私にとっては、いかにこの土地に馴染むかも同時に取り組むべき課題です。
集落の若い働き手として、トマト、ゆず、ブルーベリーの収穫など、周辺農家さんのお手伝いをしながら現金収入を得つつ、地域に溶け込んでいけたらいいですね」

現在、同じくお茶好きが高じて福島県からこの地に移住した妻・歩さんと、昨年生まれたばかりの長男・澄晴くんとの3人暮らし。
この五ヶ瀬町で、干川さんの小さな茶園「哲茶堂」の歩みは、まだスタートを切ったばかりだ。