ストーリー

椎葉村 人と地域が守り、未来へつなぐ伝統農法「焼畑」

夜狩内焼畑継承会 那須満義さん

日本三大秘境の一つにも数えられる、山あいの村・椎葉村。
淡路島とほぼ同じ面積にも関わらず、その94%は森林。
急峻な山々に囲まれたこの村では、伝統的な農法や農村文化が今なお受け継がれている。
中でも縄文時代から続くといわれる「焼畑」は、世界的に価値が認められている農法だ。

山の斜面の木や草を切って乾燥させたあと、斜面の上部から火を放つ。そうして焼けたところに残った草木の灰を肥料として、種をまき、作物を栽培する。数年間農地とした後は数十年の休閑期間をおき、次は別の場所へ。これを比較的小規模な範囲でパッチ状に繰り返していく。
農薬を使わずとも病害虫を駆除できる上、長い休閑期間のおかげで森林は失われることなくゆっくりと元の姿を取り戻してゆく。
自然を敬い、自然と共に暮らしてきた先人たちの英知を感じさせられる。

約半世紀ぶりに復活させた伝統農法

高千穂郷・椎葉山地域が世界農業遺産に認定された翌年の2016年。
椎葉村北東部に位置する夜狩内地区では、建設業を営む那須満義さん率いる『夜狩内焼畑継承会』を立ち上げ、焼畑農法を復活させた。
『夜狩内焼畑継承会』は夜狩内地区の住民有志と、下椎葉地区からの応援、合わせて二十数軒からなる。

「椎葉で現存している焼畑農法のほとんどは『秋そば』。夏に種を蒔いて秋に収穫するそばです。ある時、尾向地区で焼畑の仕事をしていた移住者の女性と話をしていたところ、『春蒔きそばをやってみたい』と話が盛り上がり、『よし、それならやってみようじゃないか』となったのがそもそものきっかけでした。
加えて、当時は高千穂郷・椎葉山地域が世界農業遺産に認定されたばかりでしたが、それにも関わらず尾向地区でしか焼畑を継承されていない現状に危機感を覚えていたことも、本腰を入れて取り組むようになった大きな理由でしたね。
結局、春に種を蒔いても実になりにくいので秋に蒔くことになったのですが、それでも夜狩内ではおよそ60年ぶりのこと。
集落の年配者から指南を受けながら始めました」

火入れ前には、山の神にお神酒を供え、唱え言を向上する。

斜面の上方から火を放ち、下方に向かって炎を広げていく。

小規模な集落では、火入れを行える範囲はおのずと限られる。収穫量は、翌年蒔く種を除けば、あとは集落内で消費するぶんの年越しそばができるほど。
それでも、夜狩内の住民にとって、椎葉村の人々にとって、大きな、大きな一歩となった。

山の姿は変わっても
人々の想いが守る

そんな椎葉村も、時代の波は着実に訪れている。
焼畑は焼け跡に残った灰を肥料とするため、その元となる雑木や藪が欠かせない。
しかし、ここ数十年の間に山は徐々に姿を変え、建築材として植樹された杉・ヒノキが山肌を覆うようになり、最適な場所を確保しようにも今はそれが難しくなったのだと、那須さんは言う。

そうした環境の変化がある一方で、それでも、“椎葉の焼畑”を守ろうと奮闘する人々の手が止まることはない。

焼畑継承会の発足後、夜狩内地区では2016年から2019年の間に4回焼畑を行なったが、新型コロナウイルス感染症の影響により、2021年は火入れを一旦停止している(2021年10月取材時点)。
しかしこのコロナ禍を脱すれば、火入れを再開する計画もあるそうだ。

すべて人力によって成り立っている焼畑農法。
時間も労力もかかる仕事だが、村内各所から加勢があるばかりでなく、村外からも、見学や体験、「作業を手伝いたい」という人が多く訪れる。
時代が移り変わっても、人々の想いによって、伝統の炎はこれからも絶えず燃え続けていくことだろう。