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ストーリー

日之影町 注連縄文化と共に伝承される「わら細工」

わら細工たくぼ 甲斐 陽一郎さん

年中飾られる注連縄(しめなわ)

師走。身を切るような風が吹きつける日之影町のある集落。『わら細工 たくぼ』の工房では、6名のつくり手たちが黙々と作業を行っている。新年に向けた注連縄づくりの佳境だ。
日之影町を含む高千穂郷では、一年を通して玄関に注連縄を飾っておく風習がある。この注連縄は“祝い結び”といわれ、家内安全の願が掛けられている。毎年正月になると新たな祝い結びに付け替えられるという。

『たくぼ』のわら細工の起源は、およそ60年前。農閑期に、陽一郎さんの祖父が家にあったわらで注連縄を作ったことに始まる。以来、父親、陽一郎さんと3代にわたって注連縄を作り続けている。
今でこそ、わら細工職人としてさまざまな工芸品をつくっている陽一郎さんだが、その土台は地域に根ざした家業なのだ。

全国的にわら細工をする人が少なくなる中、しっかりとわら細工が継承されているのは、この祝い結びの文化があるからこそだと、代表の甲斐陽一郎さんは言う。
「年間を通じて縁起物の飾りをつくっているのですが、その8割が県外向けなんです。ただ、12月だけは、注文を一切お断りして、地元向けの祝い結びの製作に集中しています」と陽一郎さん。

いつもそばに神様がいる

注連縄には、“結界”の意味があるという。一説によると、高千穂にある天岩戸に隠れてしまったアマテラスオオミカミを外に連れ出した際、二度と中に入らないように縄を張ったのが始まりだ。
高千穂郷の人々が、一年中注連縄を飾っているのは、注連縄の内側、すなわち、家の中に神様がいて一緒に暮らしているんだという気持ちの表れではないかと陽一郎さん。
「このあたり、山間部の生活には、自分たちの力ではどうにもならないような厳しさがあります。そんな時に、ふと手を合わせる。この地域の人にとって、神様はそれほど身近な存在なんですよ」

ところで、注連縄は七五三縄とも表記される。この七・五・三、それぞれ、天神七代・地神五代・日向三代の神様を表しているといい、七・五・三はこの地域の注連縄の基本的な形になっている。すべて割り切れない数字であることから、飾っておくと悪いものが入って来ないともいわれている。

作品に込められるもの

『たくぼ』のわら細工は、田んぼをおこすところから始まる。春には籾種をまき、苗を育てて田植え。8月になると藁の刈り取りが始まる。これらの作業をすべてわら細工と平行して行っており、とても一人ではできない。
「材料を仕入れて、つくり手一人で完結させられるものづくりもありますが、私たちのわら細工はそうはいきません。田んぼづくり、苗作り、刈り取り、掛け干しなど、わらを綯うまでにたくさんの工程があるんです」

『たくぼ』では、これらの作業を陽一郎さんの家族や地域の人たち約10名が分業で行ってる。中には、80歳を過ぎた近所のおじいちゃんやおばあちゃんもいて、“第2の人生じゃ!”と喜んで手伝っているのだそうだ。
「そんな風に、わら細工が地域のみなさんに生きがいを与えられていることがうれしいですし、『たくぼ』をやっている意義でもあります」

生活の中にわらを

幼い頃から年末になると注連縄づくりを手伝っていたという陽一郎さん。この地域では農閑期になると日常的にわら細工が行われていたこともあり、特別な技術ではないのだという。
だからこそ、自分にしかできない技、手法を確立していきたいという思いも強い。
「わら細工というと、われわれ日本人の主食であるお米の副産物ということもあって、飾り物が多いんです。それは今後も変わらないとは思いますが、生活の中で入って行けるもの、実用品をつくることが、今の私のテーマです」

いずみ
熱に強いというわらの特性を活かし、おひつを入れて保温する。わらのふしが外から見えないように計算されて綯われている。

腰掛け
木ほど堅くなく、スポンジほどやわらかくない、わらにしか出せない座り心地。


「今後は、さらに技術を追究して個展などを開催していきたいですね。それとともに、地域のみんなで田んぼを作って、わらにまみれて注連縄をつくっているという僕らの取り組み、文化を発信していければ」と話す陽一郎さん。
『たくぼ』の作品には、その思いがしっかりと詰まっている。